というわけで、皆さん、あけましておめでとうございます!
2017年もよろしくお願いいたします!(・∀・)
本年初めてのエントリーは、密教で伝えられる「人間関係」の「いろは」のエッセンスを、願望達成に応用できればと考えております。
皆様の、潜在意識、阿頼耶識活用のお役に立てば幸いです。
本日もよろしくお願いいたします!m(_ _)m
新年も、潜在意識、阿頼耶識と共に!
早速なのですが、本日のテーマが「悪口」になるのですが、「一年の計は元旦にあり」と言いますので、「今年は人様を悪く言わない」という、前向きなエントリーだと受け止めて頂ければ幸いです。
さて、現実社会でも「悪口」を聞けば、「あの人は私のことも悪く言ってるのではないか」と警戒されるのですが、もちろん仏教でも、誰かのことを悪く言うことは、厳しく戒められます。(・∀・;)
シリーズで取り上げております、仏教の教えであります密教ですと、文章化された教えだけではなく、師匠から弟子に口伝で伝授する技法が数多く存在するので、「言葉」を重要視する傾向があります。
例えば、一流の職人さんは、仕事と真剣に向き合うお弟子さんにだけ、修行の最後に直接「技法」を伝えられる方も多いのですが、どうして誰にも教えないのかというと、大切な技術を悪用されたくない心境が一つの理由だと言われます。
料理人の包丁さばきを、悪意を持つ人に簡単に伝えれば、他人を怪我させてしまう結果になります。
武術家の方であれば、同じように他人を傷つけようとする人間に秘技を教えてしまえば、大変な事件を起こしてしまうので、はやり人を選んで直接指導されます。
同じように、仏教にも効果が絶大な故に、誤った解釈で受け止められて悪用されると、危険な結果を起こしてしまう技法が数多く存在します。
なので、誰それ構わず伝えない口伝「密教」があります。(・∀・;)
さて、言葉を大切にする密教で、言葉を活用した表現の一つである「悪口」は、どのように受け止められているのでしょうか?
例えば、どこどこのAさんが、Bさんの悪口を言っているとします。
密教では、「AさんはBさんの長所を見る目を持っていない人」であり「他人の悪い面しか見ることができない」とAさんが自ら率先して周囲に「アピール」をしている状態だと考えます。
「無くて七癖」と言われますが、人間は誰でも短所があり、また長所もあります。
世間的には無慈悲な極悪人だとしても、1%は良い所があるもので、そこを無視してBさんの悪口を言えば、Aさんの目が間違いであるとするのが、密教の大原則なんですよね。
なので、Bさんの良い部分ではなく、悪い部分だけを見ようとするAさんに、秘密の教えは危険なので伝えられないとするのが、真言密教の伝統なんです。(・∀・;)
潜在意識、阿頼耶識を活用する技法も同じで、例えば「復縁」という願いがあれば
ある人は、復縁の願いは叶えられているのが大前提なので、「今がどうであれ、叶えられた世界に浸り続けよう」と考えられます。
一方である人は、「やっぱり叶わない!潜在意識、阿頼耶識のバカヤロー!」と考えられます。
上の人は、100%の中に99%の叶わない理由があっても、1%の叶う世界に入り込まれ浸ることで、視界の全てを「叶えられた世界」にされるんですよね。
当然ですが、願いも叶えられます。
下の人は、現状の粗探しに夢中になり、潜在意識、阿頼耶識の悪口を言い始めてしまっています。
99%の叶えられた世界があったとしても、1%の叶えられない世界に入り浸り、「ほら、叶わない!」と不満を喧伝することで、周りの視界を「叶わない一色」にされてしまっているんですよね。
上で書かせて頂いた通り、密教では、どのような状態の中でも「良いところ」があり、それを無視して悪口や不満を言うのは、潜在意識、阿頼耶識が悪いのではなく、その人の「かすんだ目」に責任があるということになります。(・∀・;)
自分は厳しい教えだなと考えてしまう部分もあるのですが、叶えられた世界は準備されているのに、その世界を見ないということは、悲しくて寂しいことでもあるなとも考えてしまいます。
またどうして、叶えられた願いに対して、悪い表現を向けてしまうのかと言いますと、仏教の「愛」に関する教えに答えがあると考えております。
原則として、仏教では「愛」には否定的な立場を取ります。
またどうして、「愛」を否定するのかと言いますと、愛は「煩悩」であり憎しみと表裏一体の関係でもあり、愛が失われることで、苦悩であり、憎しみが生まれるからという理由なのですが、復縁の願いで、潜在意識、阿頼耶識に向けて、悪く言ってしまうのも同じではないでしょうか?(・∀・)
「愛してるから裏切られたら、苦悩が生まれ、そして憎しみに変わる」
「期待(愛(を裏切られた!」と怒りを露わにしてしまう経験は誰にでもあると思うのですが、これは避けられない人情ですよね。
ただ、密教の経典である「理趣経」には、「愛」という言葉が出てきます。
密教を離れたところでは、「邪な願いでも」でお馴染みの道元も、「愛」という言葉を多用されていています。
どうして、このような矛盾があるのでしょうか?不思議ですよね。(・∀・;)
実は、この矛盾に、潜在意識、阿頼耶識の法則を活用した、願望達成のコツが隠されています。(・∀・)
失われて憎しみに変わる愛は、本来の愛ではなく、もっと純粋な愛であれば、失われても憎しみに変わらないとするのが、仏教視点の「愛」なんです。(・∀・)
就活の願いを一つの例に挙げさせていただくと
入社試験や面接で、「不採用」という結果が送られてきたとします。
今まで大好きだったのに、不採用にされるとその企業に裏切られた気持ちになり、商品は買いたくないし、近づきたくないですよね。
これが、否定されている愛です。
それとは逆に、不採用の通知が送られてきたとしても、「今回は不採用だったけど、諦めずにこの企業に採用されるぞ!」と、志望する企業の商品を手にとって愛用してみたり、潜在意識、阿頼耶識を活用して、自助努力する気持ちが湧けば、それは「絶対的な愛」になります。
「絶対的な愛」を向ければ、失われることもなければ、裏切られることもないんですよね。
この気持で、潜在意識、阿頼耶識を活用して、入社後のイメージを瞑想などで楽しめば、不採用通知も過ぎてしまう過程であって、内定をもらう願いは、必ず成就されます。(・∀・)
そもそも、願いが叶えられた世界は準備されているので、何があっても不採用は採用されるまでの1つのイベントに過ぎず、裏切られたと考えてしまうのは、私たちの目が「見ていない」ことに原因があるんですよね。
復縁、片思いの願いであれば、好きな人の一挙一動に、心を掻き乱されてしまうことが多いのですが
なので、他の異性と仲良くしている姿を見たり、私たちに振り向く素振りが見えないと、潜在意識、阿頼耶識、好きな人に「裏切られた」という気持ちが湧いてしまうこともあります。(・∀・;)
しかし、よくよく考えてみると、それもまた「叶わない」ことばかり見てしまい、願いが叶えられた前提にある、潜在意識、阿頼耶識の法則や、幸せな世界を見ていないことが原因なんですよね。
現状だけを見て、潜在意識、阿頼耶識、そして好きな人や周りの人の粗探しをして、悪口を言ってしまうことが、いかに勿体無いかを知ることが出来ます。
先日書かせて頂いた「大楽(たいらく)」の話になりますが、「純粋な愛」は失われることがなく、裏切られることもないので、「ある」と「ない」という枠組みの制限を超えて、今も、これからも、ずっと側に寄り添ってくれているということになります。
復縁や収入などの願いが叶えられた世界は、皆さんの側に、これまでも寄り添ってくれていて、これからも離れることはありません。
私たちは、スマホ、テレビ、ラジオなど、色んな電波に囲まれて便利な生活を送っています。
ただ、色んな情報を届けてくれる電波があっても、スマホなどが無ければ、せっかくの情報を楽しむことが出来ません。
潜在意識、阿頼耶識を活用して、願いを叶えて幸せになる話も一緒で、「見えない」と不満を言うのではなく、私たちが良き受信者として、「叶えられた前提」という情報を載せた電波をキャッチすることで、叶えられた世界を現象化できるんですよね。(・∀・)
不満を口にするより、失われることがない、絶対で純粋な愛を持って、潜在意識、阿頼耶識を活用して行く一年を、皆さんと過ごすことが出来れば幸いです。(・∀・)
本年もよろしくお願いいたします!(・∀・)
といういわけで、第二部はお知らせです!
復縁、恋愛など全ての願いが叶う、潜在意識、阿頼耶識を活用する瞑想法を紹介しております。メディア掲載歴【週刊SPA!】様 アイコン画像、チェ・ゲバラは 奥原純一 先生のご作品です。