過去の偉人の生涯を見てみると、彼等は決して諦めない事の重要性を私達に時間を越えて語ってくれます。
何度もテレビで特集が組まれ、この前も正月番組でも紹介されていた、ユリウス・カエサルの余りにも有名な言葉と共に
投げ出さない事で得られる、大きな結果について今日は皆さんと一緒に考えさせて頂ければと思います。
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ガリア戦争後、ローマの元老院はカエサルに対しガリア属州総督解任および本国召還を命じる元老院最終勧告(事実上の非常事態宣言)を通告します。
ルビコン川まで軍を率いてきたカエサルは、こう言います。
(ルビコン川はローマ本国とイタリア属州の境界線で、属州の軍を率いて川を越える事は禁じられていた。)
「この川を越えれば人間世界の悲惨、越えなければわが身の破滅。」
川を渡ればローマ本国は内乱状態になります。(・∀・;)
しかし軍を解散して川を越えなかった場合は、カエサル自身が殺されます。
そして彼は言います。
「進もう、賽は投げられた!」
彼の指揮下の兵は迷う事無く彼に従い、この世界の歴史を大きく動かしたカエサルのルビコン川越えが行われます。
そして人類史上、最も繁栄した国の礎が彼の手により築かれます。。
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自分個人として、この場面が紹介される度に思う事が有ります。
願望達成や実現で「手放す事」が賞賛されますが、もしカエサルが自身の夢や強い意志を、僅かな時間でも手放してしまっていたら、間違い無く彼の大きな夢は潰えていたでしょう。
歴史上の多くの偉人や出来事が私達に「手放さない事の大切さ」を、繰り返し指し示してくれます。
もう一つは、細く小さな川を挟んだ土地が全く別のものとして認識されがちですが
よく言われる「仏の目」と言う言葉を用いると、川の向こうもこちらも、ただの土地で、それ以上の何でも無いんですよね。(・∀・;)
願望というものも、「これは叶えて良い願望」「叶える事は許されない願望」とに分けられて、何時も議論を読んでいますが、「仏の目」という視点で願望を見ると
先日話させて頂いた「一心に願えば、それが邪な願いでも叶う」という道元の言葉通り、本来願いに「正」と「邪」、「高尚」と「低俗」もなんて区別は無いんだと実感できますよね。(・∀・)
持っている願望を特別視して区別しない事と、潜在意識が自然な流れで手放すという過程を踏ませない限り、願いや執着を絶対に手放さない事の大切さを、歴史上の全ての出来事が教えてくれます。
後は越える事さえ決心すれば、カエサルがルビコンを渡った時のように多数派として目的地まで進まれる事になるでしょう。(・∀・)
(「潜在意識と共にある人は常に多数派」と多くの書籍に載っている通りですよね。(・∀・))
今日のタイトル、「Alea jacta est. (賽は投げられた)」という言葉の通り。
恋愛でも収入でも、人間関係でも、潜在意識の中に賽を投げれば、事態は進んで行きます。
何も恐れず、心の中に流れる川の向こう側へ、自信を持って進みましょう。(・∀・)
今日は、そんな話しでした。(・∀・)
復縁、恋愛など全ての願いが叶う、潜在意識、阿頼耶識を活用する瞑想法を紹介しております。メディア掲載歴【週刊SPA!】様 アイコン画像、チェ・ゲバラは 奥原純一 先生のご作品です。