今日は、ミアさんからのお便りに返信する形で、好きな人や、恋のライバルの欠点が見えてしまう。
一般的には、粗探しというのでしょうか?
こういった、心理状態に陥った時に、「顕在意識」「相手の欠点など」「潜在意識」
この3つを、どう折り合いをつけていくか?という難題(?)を、皆さんと一緒に解決して行ければと思っております。(・∀・)
以前、友人に「好きな人の、こんな所が嫌なんです」という話をしてもらった事があったんですが
多分ですが、自分が相手に1の不満を持ってる時、相手は自分に5~10の不満を持ってるんじゃないかなと思うんです。
恋人でも、友人でも、職場の同僚でもそうなのですが、人ろ人の距離が近くなると、今まで知らなかった周囲の人の事とか見えるようになったり
良くも悪くも情が湧いてきて、周囲の人に「こうなって欲しい」とか、色んな事を考えたりするんですよね。(・∀・)
恋愛関係の延長線上にある、人との関係だと、その傾向って、凄く高くなると思うんです。
・好きな人は、こんな欠点があるから
・恋のライバルは、○○だから好きになれない
・私とあの人を取り巻く人って、○○な欠点がある人ばかりだ
まあ、見えてくる見えてくる、「これでもか!」という位に見えてきます。
世間一般では、こういうのを粗探しとか、揚げ足取りとか言って、あまり好かれる思考ではないんですよね。(・∀・;)
でも、見えてくるって事は、それだけ「相手の事を知っている」という事になるんですよね。(・∀・)
誰かのことを知っているから、無自覚な情が湧き、「こうなって欲しい」と思ってしまう。
人の欠点が見えるのって、こういうことだと思うんです。
愛と憎しみが、表裏一体で、実は同じモノという話とかあるじゃないですか?(・∀・)
まさに、人の欠点が見えるって、そういう事なんだと思うんです。
「気になるから、この人をこうしてあげたい。」
こんな感じなんじゃないのかなぁ。。
愛って概念というか、言葉があるじゃないですか?
例えば、家族に幸せになって欲しいと思う、「家族愛」とかも、愛のカテゴリーに入りますよね。(・∀・)
隣人愛、異性愛、同性愛、色んな「愛」があります。
潜在意識の世界では、「自愛」というメソッドがブームらしいのですが
私も似たようなメソッドで、「慈愛」というメソッドを行っております。(・∀・)
前者が、多分ですが、自分で自分を愛する方法なのかな?
後者の自分の方法は、神仏から差し伸べられた手を取って、その慈悲をいただき、包まれて
自分の中の、「絶対の存在に守ってもらいたい」という欲求を満たしたり、「こうなりたい」という願いが叶った瞬間に包まれる方法ですね。
とにかく、神仏への「帰依」や「南無」を、辞書通りに行う方法ですね。
どうも、私は自分を自分で愛することが苦手なので、神仏という、この世の全てに包まれて、守られているという方法を取ってしまうんです。(・∀・;)
前(自愛)後(慈愛)の方法に、優劣は存在しないので、これは、自分に合った方をチョイスされると良いのではないかと思います。(・∀・)
話は戻って「愛」という概念
自分が信望している仏教では、基本的に「愛」は否定されているんです。
愛するが故に、苦しんでしまう。なので、悟りの道には不要という考えなんですね。
ニーチェなどは、もっと突っ込んでいて、愛は妬みであるルサンチマンが姿を変えたものと言ってるんですね。
こうかくと、愛は完全否定されるもの、という話になってしまうのですが、自分は否定する必要はないんじゃないかと、最近思ってるんです。
月刊住職という雑誌だったかな、お寺さんの為の宗派を超えた雑誌があるのですが
「『他力本願』(本来は仏様の絶対他力にすべてを委ねるという良い意味の言葉)が正しく使われていない、誤用を檀家に指摘したら、逆に説教された」という、あるお寺の住職さんから投書があったのですが
それに対する他の住職からの回答が、「言葉の定義や幅は人それぞれで良い、それが仏教用語でも」という返答だったんですね。
「ああしてあげたい」「こうしてあげたい」
こんな愛は、確かに同調圧力な面もあるかもですが、自分はそれで良いと思うんです。
潜在意識、阿頼耶識を活用した願望達成は、悟りとは無関係であると思うし。
自分(バキュ)は、神仏に愛されていて、神仏の視点で見える風景(空~くう)によって、そのままの結果を得る。
こんな思って、願いを叶えているのと、実際に叶っているので、愛って実は素晴らしいのかなと思っております。
潜在意識=神仏=愛=阿頼耶識と、言葉と解釈に幅を持たされば、愛は素晴らしい物になるんですよね。
というわけで、嫌いな人の欠点が見えてしまうこと、好きな人の欠点も見えてしまうこと。
これって、相手を理解してるが故に見えてしまうことだと思うんです。
そこで、「あの人にはこうなって欲しい」と心の中で提案すること、例えば家族愛なら「息子にはこうばって欲しい」とか真心で願うじゃないですか?(・∀・)
同性愛でも、自分は同性愛者だけど、あの人を恋人として幸せにしたい。
誰にも言えない恋であれば、「今の家族より幸せにできる」とか「今のパートナーにも幸せを」、こんな理解と愛が、そこにあると思うんです。
職場への不満、これに似てますよね。
企業って法的には「法人」と言われ、1つの人格として扱われるんですよね。
その、人格である所属する企業に「こうすればいいのに」「ああすれば、もっと良くなるのに」こう思うのも、愛や理解に属すると思うんです。(・∀・)
好き嫌いという表裏一体の心情をベースに
「ああいてあげたい」「こうしてあげたい」
繰り返しになりますが、これって、仏様が我々に向けている、絶対他力と同じなんですよね。
じゃあ、人の欠点が見えたり、どうにかしなければって思う人との人間関係に悩んだ時
相手の欠点を理解してあげていると自覚すると、相手の好き嫌いを問わず、自分が相手の最大の理解者という事になるんですよね。
それって、大きなアドバンテージなんです。(・∀・)
粗探し→最大の理解者である自分→愛、潜在意識、神仏の慈愛。
こんな感じで自分の中で昇華していけば、今まで嫌いだった人まで、自覚の有無は置いておいて、私達の味方になってくれるようになるんですよね。(・∀・)
潜在意識、阿頼耶識を活用する人は、万軍の主という、マーフィー博士と聖書の言葉が、ここで繋がっちゃうんです。(・∀・)
本当は理解しているから、空の上から見てるようにハートが見えてしまう!(・∀・)
嫌いな人が味方になるなんて、普通は想像しないのですが
想像してみると、物凄く頼もしくて心強いでしょ?(・∀・)
マーフィー博士の、潜在意識、願望達成論の真骨頂ここにあり!という感じです!(・∀・)
というわけで、特定の人の欠点ばかり見えてる、そこの方。
もしかしたら、その人のことを嫌ってるようで、惹かれてるのかもしれませんよ?(・∀・;)
ついつい人の嫌なところを見てしまう事を悪癖と捉えがちなのですが
発送の転換をしちゃえば、それも協力な武器なんですよね!
潜在意識、阿頼耶識、そして愛、なんと素晴らしいことか。(・∀・)
というわけで、引き続き別エントリーになっておりますが
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