当ブログでお馴染みの「委ねる」願望達成法、メソッドについての考察を書かせて頂ければと思います。
まず、「委ねる」と、人類のお付き合いについて。
世界中の伝統宗教を見ると、「委ねる」という方法が東西を問わずに出てくるんです。(・∀・)
・まず、仏教について
仏教では「帰依」や、皆さんにも身近な「南無」という形で、「委ねる」という概念が出てきます。
南無と帰依は、ほぼ同じ意味と受け取っていただいて大丈夫なのですが
その帰依というのは、浄土真宗などでは、「南無阿弥陀仏」と唱え、心身を「さあ、あなたを救うぞ」と手を差し伸べてられる、絶対に力を持たれる、阿弥陀如来に「帰投」させる事を指すんですね。(・∀・)
「帰投」なので、阿弥陀如来に「心身を帰す」という形で「委ね」ます。
潜在意識、阿頼耶識を、阿弥陀如来と位置づけるなら、潜在意識、阿頼耶識が、私達が困った時、願いを叶えたくなった時に、「帰るべき場所」として準備されているという事なんですね。(・∀・)
こうやって、全てを仏様に委ねることを「依伏信奉」と言います。(・∀・)
サンスクリット語で帰依を「śaraṇa शरण」と言うのですが、他にも「保護・避難」という意味もあるんですよ。(・∀・)
「委ねる」には、困った時に保護され、絶対的な、潜在意識、阿頼耶識、仏様の力で、守られるという意味もあるんですね。(・∀・)
「委ねる」って、こんなに深い歴史があるんです!凄いでしょ?(・∀・)
でも、まだまだ他にも「委ねる」があるんですよ。(・∀・)
・次にキリスト教のカトリック教会。(・∀・)
パウロによる福音書にある、 ローマの信徒への手紙に、この様な一節があります。
「自分の将来を完全に神に委ね、紙の側の真実や慈愛という神の本質だけに一切を委ねるのです。」
この「委ねる」ことで、得られた達成談として有名なのは
聖書に出てくる、アブラハムがおよそ100歳、妻のサラが90歳という高齢だったので、とても子供は望めないと思われていた状態で、「委ねる」ことで、イサクという子供を授かった話があるのですが
この話は「無理だ」という、常識に囚われた先入観を捨てて、潜在意識、阿頼耶識、神様に委ねれば、願いは叶うという事を、強く私達に語りかけてくれているんですよね。(・∀・)
なお、パウロによる福音書には、こうも書かれています。
「神は約束されたことを成し遂げる」
「約束」という言葉が、ここでのキーポイントで。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、アブラハムの3宗教の神は、契約の一神教と言われるのですが
いつも叶うから願いが、潜在意識、阿頼耶識から湧いてくるという話を書かせて頂いているのですが
アブラハムの契約の一神教の場合だと、願いが叶うことは、神と人との間の「契約」という事になるんですね。
「契約」なので、必ず履行されるんです。(・∀・)
皆さんが願ってられる、
例えば、復縁、片思い、金銭的な願い、健康の願い、就活、色んな願いを、お持ちだと思うのですが
その全ての願いは、神様と契約で、必ず叶うことを前提に、その神様から提示された願いなんですね。(・∀・)
「ローマの信徒への手紙」に書かれている通り
神様へ「委ねる」ことで、その契約は必ず守られます。(・∀・)
「契約」なので、遠慮せずに願いを成就されて下さいね。
またまた凄いでしょ?(・∀・)
潜在意識、阿頼耶識、神様って、本当に凄いんです!
「契約」だなんて、叶って当然なんです。(・∀・)
・次にイスラム教
イスラームは、アラビア語で「身を委ねること」「神に帰依すること」という意味なんですね。
そして、委ねた人達のことは、イスラム教徒を意味する、ムスリムと呼ばれます。(・∀・)
とにかく理解できなくても良いので、神に「委ねる」ことを徹底することで、日々生活されているんですね。
・そして、東方正教会
ギリシャ正教や、ロシア正教でお馴染みの、キリスト教の教派ですね。(・∀・)
正教会では、信仰は神の存在を認めるだけではなく、神の慈愛に自らを委ねることであり
信仰が本来の意味における人間の完成を実現し、周囲を明るく照らすものであるとされています。
東方正教会でも「委ねる」が出てくるんです。(・∀・)
東方正教会で語り継がれる、素晴らしい達成談なのですが
11世紀にマクラ司教という人物がハンセン病を患ってしまいます。
それを知った、アレクサンドリア総主教のザカリウスは、マクラ司教に、神に祈り委ねるように勧めます。
司教は必死にイコンに祈り、委ねました。
すると3日後に、症状はなくなり、すっかり癒えてしまってたそうです。(・∀・)
潜在意識、阿頼耶識、神様に委ねるということで、素晴らしい効果を得られちゃうんですね。
病気に関しては、潜在意識、阿頼耶識、神様だけではなく、私達の身近に「お医者様」がいらっしゃいます。
お医者様に診てもらい感謝して、潜在意識、阿頼耶識、神仏にも委ね感謝する。
この様な感じで、あらゆる疾患と向き合っていただければと思っております。(・∀・)
・今度はヒンドゥー教
ヒンドゥー教では、バクティヨガというヨーガがあるのですが
このバクティヨガ、最高の神に、家族に感じるような無条件の愛情を込めながら、神に自らを委ねるんです。(・∀・)
いつも「執着しても大丈夫ですよ」と話しをさせて頂いているのですが
このバクティヨガは、「信愛」や「愛情のこもった執着」または「愛のヨガ」と定義されることがあり
潜在意識、阿頼耶識、最高の神様に委ねることで、愛に関する、恋愛や復縁、そして美容などに、大きな効果がもたらされる事を実感できる、大きな智慧なんですよね。(・∀・)
・最後にユダヤ教
アブラハムの3宗教のユダヤ教でも、勿論ですが、「委ねる」が登場します。
旧約聖書で、アブラハムは、自分の命や、もっと大切な存在を神に捧げ、委ねていました。
神に「委ねる」ことで、「捧げた物を、新しく受け取り直す」という、神との契約を守り生きていたんですね。(・∀・)
「あれ?」と思われた方もいらっしゃるかもです。
「新しく受け取り直す」
まさにその通りで、恋愛関係の願いであれば、大好きな彼の存在と、今後の関係、不安を、ユダヤ教の厳格な神、潜在意識、阿頼耶識に捧げて委ねることで、受け取り直すことが出来るという意味でも、受け取る事ができるんですよね。(・∀・)
金銭面でも、心の中にある富を実感して、その感覚を、神様、潜在意識、阿頼耶識に委ねることで、実社会で使える形のある「富」として、受け取り直すことが出来るんです。(・∀・)
願いが叶った感覚を、捧げて委ねることで、達成という形で「受け取り直すことが出来る」という事なんですよね。(・∀・)
いかがでしたか?「委ねる」は長い歴史の中で、世界中の人々を救い、そして願いを叶えてきた、伝統あるメソッドなんですね。(・∀・)
そして、もう1つの伝統的な願望達成法、「瞑想」なのですが、こちらも古今東西を問わずに活用されてきたんです。(・∀・)
赤ちゃんの様に、素直に委ねられるかが大事なのかもですね。(・∀・)
余談なのですが
キリスト教では、修道士の方々が瞑想を行われ
イスラム教では、ワーリング瞑想という瞑想を通して、神の心によって生きることを実践されています。
なので、良かったら瞑想などを通して、潜在意識、阿頼耶識、神仏に委ねられてみてくださいね。(・∀・)
「委ねる」「瞑想」「書く願文法」
こういった伝統的な技法が重なり合って、奇跡ではなく「なるべくしてなる」状態で、願いが叶いますよ。(・∀・)
本日紹介させていただいた、世界中の「委ねる」いかがでしたか?
瞑想と同じく、長い歴史がある方法なので、安心感をもって実践して頂ければ、とても嬉しいです。(・∀・)
というわけで、のコーナーは別エントリーになっております!
こちらも併せてよろしくお願い致します!(・∀・)
復縁、恋愛など全ての願いが叶う、潜在意識、阿頼耶識を活用する瞑想法を紹介しております。メディア掲載歴【週刊SPA!】様 アイコン画像、チェ・ゲバラは 奥原純一 先生のご作品です。