潜在意識、阿頼耶識、神仏の力、言葉は違えど全てはゴールに導いてくれる、大きな大きな力!
さあ、今日も潜在意識と共に願望達成を目指そう!(・∀・)
というわけで、皆さん再びおはこんばんにちはです!(・∀・)
本日の二時間は、皆さんお馴染みの「花咲かじいさん」の話と、潜在意識、阿頼耶識についての関係について、ご一緒に考えさせて頂けたらと思っております。
花咲かじいさんの意外な正体とは?
「えっ?!花咲かじいさんって、あの人だったの!」
皆さんは、毎年4月8日の「花まつり」はご存知でしょうか?
この「花まつり」は、花咲かじいさんの説話がもとになった日で、大正時代の仏教家、安藤嶺丸(あんどうれいがん)さんが初められたものなのですが
「花まつり」は、その昔「灌仏会(かんぶつえ)」と言われていた、お釈迦様の誕生日を祝う日なんです。(・∀・)
花まつりと耳にされたら「あ、お釈迦様が生誕された日なんだな」と思い出して頂けたら嬉しいです。(・∀・)
この「花咲かじいさん」の話は、室町末期から江戸時代初期に成立したと言われ(おおまかに言うと戦国時代でしょうか)
話の原典を探してみると、お釈迦様の前世のお話をまとめた「ジャータカ」に、その姿を見ることが出来ます。
ジャータカを読んでみると、お釈迦様が、ある時は人間の姿で、またある時は動物の姿でこの世界に現れて、困っている人を助けたり、修行を積んで善行をなされたり、「前世でお釈迦様はこんな活躍をされたんだ」という驚きが詰まっています。
その前世で活躍されるお姿の中に、上で書かせて頂いた安藤さんが「花咲かじいさん」と重なる話を発見されたんですね。
そういう経緯があり、お釈迦様の誕生日を祝う日である灌仏会が、花咲かじいさんと結びつき「花まつり」になったんです。(・∀・)
花咲かじいさんは、正直じいさんが枯れ木に灰を撒いて、綺麗で立派な花を咲かせるのですが
この枯れ木は「生きる喜びを失い、まるで生きた屍のように悩んでいる人々」を
灰は「仏様の教えや力」を表したもので、花咲かじいさんの中に出てくる枯れ木とは、冬の辛い時期に枯れている、つまり冬枯れした木のことを指しているとされています。
今、願いを持っていたり、漠然とした「幸せ」について考えつつも答えが導けない、そんな悩める私たちの状態を「枯れ木」に置き換えて書かれているんですね。(・∀・;)
特に、復縁を願われているけど失恋時の傷が癒えない方や、生活面で困窮され明日が見えない方であれば
「ああ、確かに今の私は枯れ木なのかもしれない」と、感じられる事も多いかと思います。
願いのことで苦しんでいると、まるで葉っぱの一枚もなく寒空の下で身動きが取れない枯れ木のような心境になってしまいますよね。(・∀・;)
でも、少しだけ今の自分を長い視点で観察してみると「枯れ木ではあるけれど、春が来れば葉っぱも茂れば花も咲く」と、大きな生命が枯れ木にも宿っているということも見えてきます。
ただ、いつか分からない春の訪れを待つことは、とても大変で、厳しい日々を過ごすことになるんですよね。
でも、大丈夫!
私たちは、枯れ木に灰を撒くことで満開の花を咲かせることが出来ます。
先程書かせて頂きましたが、私たちが撒く「灰」にはお釈迦様の教えが詰まっています。(・∀・)
お釈迦様は花咲かじいさんの話を通して、「幸せになれる教えが詰まった灰を撒いて、阿頼耶識(潜在意識)に全てが詰まっている」という事実を自覚することが出来ます。
そして、撒かれた灰が心の枯れ木に降りかかることで「こころに花を咲かせることができる」ことを実感することも出来ます。
こころ(心)はもちろん、潜在意識、阿頼耶識のことで、こころに願望達成の花が咲けば、私たちが願った通りの幸せな毎日を手にするということが約束されているんですよね。
時代を通して、この説話も色んなバリエーションがあるのですが、原典に戻ると、ただただ私たちには願望達成や、幸せになることが出来るということを伝えたい、お釈迦様の温かい気持ちの贈り物が、この「花咲かじいさん」なんです。(・∀・)
達成が困難と思える復縁の願い。
ライバルが多かったり相手が振り向いてくれそうにない片思いの切ない願い。
いつか改善したいけど、その日が見えない生活面での願い。
色んな願いがあり、願いの数ほど悩みや不安、そして困難に思える壁があるのですが、瞑想法や書く方法で叶って幸せな世界をイメージして、感謝で締めくくれば、枯れているように見える、こころ(心)の木が満開の願望達成を、皆さんの日常生活に届けてくれますので、願望達成に向けて前進して頂けたら幸いです。m(_ _)m
というわけで、本日の三時間目
もよろしくお願いします!