潜在意識、阿頼耶識の達成力と、古代の神話にある奇跡を旅するエントリーは、いかがですか?(・∀・)
二時間目も、神話から、恋愛、復縁、結婚の願いを叶える秘訣を発見して行きますので、何卒よろしくお願い致します!(・∀・)
モーセが語る、潜在意識、阿頼耶識と恐れの関係
モーセ「おはこんばんにちは。潜在意識、阿頼耶識を活用するなら何も恐れなくていいYO!」
第一部のラストは、モーセがエジプト軍の脅威に恐れるイスラエルの人々に「どうして恐れるのだ?」と問いかけて海を割り脱出する場面までした。
ここで質問なのですが、皆さんがモーセのように「どうして恐れるのだ?」と問いかけていたとしたら、どのような思いを持たれていると考えられますか?
「俺と神を信じろ!」という強い意志を伝えたかったのかな?など色んな考えが湧いてきますよね。(・∀・)
新しい願望と向き合い、その度に「恐れ」とも向き合うネガティブな自分ですが、皆さんと意見や、潜在意識、阿頼耶識についての考えを交換させていただく際には、モーセのように「皆さんの願いはかないますから、恐れずに行きましょうよ」と考えることがあります。
またどうして、そのような考えが湧くのかと申しますと、漏れなく誰でも、潜在意識、阿頼耶識の法則は活用できるので、「願望を持つことに恐れる必要はないですよ」と、自分が何度も恐れて叶えてきたから経験できたことを踏まえて、そう伝えたくなるんです。(・∀・;)
出エジプト記の奇跡に触れるたびに、「誰でも神に委ねれば、全てが可能なんですよ」だとモーセが伝えているのだと、確信しています。
誰でも出来るから、「どうして恐れるのだ?」なんですよね。(・∀・)
皆さんご存知かと拝察するのですが、私の友人でRevでご一緒している、「既にRさん、エビスさん」という方がいらっしゃいます。
彼らもよく、「達成はあるのにどうして恐れるの?」と伝えられているのが、とても力強いです!感謝!(・∀・)
復縁、恋愛、結婚の願望であれば、目視していないだけで達成された世界が準備されているんですよね。
なので、モーセの言葉である、「(あるのに)どうして恐れるの?」という言葉が、時を越えて私たちにかけられるのかもしれません。
神(潜在意識、阿頼耶識)に委ねることで、海さえ割った力が、願望を叶えてくれるので、願い対して恐れを抱く必要はないのかもしれませんね。(・∀・)
ただ、こう書いても、人は煩悩から離れることも悟ることも出来ないが故に、どうしても「恐れ」を持ってしまうこともあります。
潜在意識、阿頼耶識に関するブログを書いている自分も、恥ずかしながら願望を恐れてしまうことが度々です。(・∀・;)
そこで、仏教で言えば悪人正機からの救いであったり、キリスト教であれば原罪からの贖罪の考えが、私たちに気付きと発見あを与えてくれるんですよね。
神や仏(潜在意識、阿頼耶識)に慈愛に浸っていると、「全てを持つ神仏(潜在意識)に包まれているので、自分も全ての願いを叶えることが当然出来るんだ」と、「理解」できるようになるんですよね。
理解と書かせていただいたのですが、存在しないものは無いので、どれだけ考えても理解することが出来ないんです。
無いものは初めから想像することすら不可能で、有るものは感じ取れるんですよね。
なので、願望は達成された姿で、既に準備(既にR)されている世界から、願望として存在するんですよね。
知らないものに対して恐れたり、悩んだりすることは出来ないんです。(・∀・)
不安や悩み、そして恐れがあるということも、潜在意識、阿頼耶識で願望が達成された世界があるからなんですね。
だから、不安や恐れを抱えたまま、(リンクです)を実践して、神仏や大切な人の慈愛に浸ると、矛盾や問題を越えて、願望が達成に向けて動き出すんです。(・∀・)
矛盾しているように見えますが、願望に恐れの存在が願望達成の確証になるので、「どうして恐れるのだ?」というモーセのような立ち位置を、私たちに与えてくれるんですよね。
先日書かせていただいた、潜在意識、阿頼耶識を通して、無自覚に既に手にしていて、保持していることを理解しているからこそ、失わないために「手放したくない」という執着心が湧くという話と似ているかもしれません。
大切な人の一挙一動に恐れや不安を感じてしまった場合や、無力感を感じられたら、その都度、神仏の慈愛の心(親心)に包まれてみてくださいね!
「恐れ」てしまった分だけ、「叶えられた世界がある」ことを実感できるので、実践する度に多幸感と安心感が湧いてきますよ!
多幸感と安心感も、無いものには湧かないので、これもまた「叶っている確証」なるんですよね。
大切な人との間にある海(恐れや問題)を割って、恋愛、復縁、結婚、関係するすべての人達が幸せな毎日に到達しましょう!
最後に、女神ティアマトが夫キングーに託した「天の石版」の行方なのですが、エジプトを出発したモーセが授かる、十戒として伝えられる、神の意志が書かれた石版が、「天の石版」だとされる説があるんです。(諸説あります)
どうして、人類を創造したほど神が、マルドゥークとの戦いに敗れたのかという疑問が湧くのですが、自分はティアマトとキングーは、戦いによってではなく、自らの慈愛の意思で大地になり、海になり、悩み恐れながらも幸せを掴もうとする、愛おしい我が子である「人」を作ることを望まれたのだと考えております。
アブラハムの宗教の神は、どこか厳しいという印象を受けますが、本当は誰よりも優しくて激情や愛情も含めた、情が深い神様なのかもしれませんね。
聖書ではなく、バビロニアの神話から、そのような姿が見えてくると感じるのは、自分だけではないと考える次第です。
本日のまとめです。
・モーセは神に委ねれば「誰も漏れること無く全てが可能である」と伝えるために、エジプトの軍隊に怯えるイスラエルの人々に「何を恐れるのだ?」と伝えました。
・無いものは想像することも考えることも出来ません。あるから「恐れ」や不安もあります。
・願望が叶えられていることを知っているから「手放したくない」と願いに執着するのと同じで、「恐れ」や不安も叶えられているから湧きます。
・恋愛、復縁、結婚の願いも、確実に存在する叶えられた世界と、今この時間と世界にギャップがあるから、悩みがあり「どうして叶わないの?」があります。
・「潜在意識、阿頼耶識、神仏」に見捨てられるかもしれない」と恐れてしまうこともありますが、神仏は我が子である皆さんを見捨てることは決してありません。常に側に寄り添ってくれます。
・「こんな私だから救われないかも」と考えてしまうこともありますが、神仏の前では「悟った」と自称する人や「善人」の些細な悪事さえ見逃されることはありません。神仏の前では誰もが同じように悪いことをしている存在であり、それを理解した上で「救う」とされているので、誰一人として、潜在意識、阿頼耶識で達成された世界や救いから漏れることはありません。
・海が割れた力を前に、恋愛、復縁、結婚の願いが叶わないという世界はありえません。
本日は、聖書にある奇跡と、バビロニアの創造神話の一説を織り交ぜて、潜在意識、阿頼耶識の世界を皆さんと旅をするエントリーでしたが、いかがでしたでしょうか?
いつもと少し違う視点で、潜在意識、阿頼耶識の世界を見てみると、私たちの願望が達成された世界も、いい意味でまた違った景色を見せてくれますよね。(・∀・)
というわけで、また近日中に!
いつもありがとうございます!