今日は徳川家康の生涯と、私達が持つ願望達成の経緯を見て
願望達成に必要な基本的な心構えを読者様と考えさせて頂ければと思います。
日本史が好きな方だと、三方ヶ原の戦いと聞けば
「ああ、家康の生涯で最大の失敗劇か。」」と思われると思いますが
余り歴史関係がお好きでない方の為に、簡単に説明すると
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武田信玄が上洛(京都に入る事)の過程で起きた戦いです。
この時、家康は武田方が仕掛けた、城からのおびき出しに引っ掛かり大敗を喫しています。
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この戦いで敗れた家康は、宵の闇のなかを、わずかな供回りを連れて浜松城へ引き上げるのですが、途中恐怖のあまり馬上で脱糞してしまいます。
そして浜松城に戻ると、すぐに絵師を呼び、戦いに敗れ恐怖に苛まれ脱糞した、自らの苦渋に満ちた表情の肖像画(「顰像」と言われる)を描かせます。
そして家康は、この顰像を後の戒めとします。
さて、ここで思うのは願望達成や実現の方法として、安易に心の中の障害や無意識の思い込みになるであろう思考を消すと言う方法を使うことについてなのですが
世の成功者達は、そういった手法を持ちいるはずもなく
それとは全く逆に、消したい失敗さえも成功の糧として利用して行きます。
心の中のわだかまりや、引っ掛かりさえも、禅等を通し今の自分を知る重要な術として、活用している様に見えます。
この様に、思考の中に消す必要が有るものは、全く無いんですよね。
実際、武田信玄が三方ヶ原の戦いで家康を完膚なきまでに打ち負かした戦法は、家康の天下を決定的にした、関ヶ原の戦いで家康自身により再現される事になります。
この様に、心のわだかまりや、思考の引っかかりになるような物を消す必要なんて、全く無いんですよね。(・∀・)
歴史上に有る事実が、そう証明してくれます。
逆に無闇に消せば、学ぶ事も発展も出来ません。
消すなんて無謀極まりない事を行うより、ありのままで達成出来るのが潜在意識の凄い所なんですよね。(・∀・)
執着について最近強く思うのは、執着は葉書に貼る切手なんだなと。。
切手が貼って有る限りは、確実に配達先まで届きますが
切手も貼らずにポストへ投函すればどうでしょう?
また差出人の所へ戻ってきますよね?
願望達成も全く同じで、執着を無闇に捨てれば、忘れ掛けた頃に
達成されない願望が「やっぱり達成したい!!」という気持ちになって、結局より大きな欠乏感を伴い自分の所へ戻ってきます。(・∀・;)
家康のような天下人になれとは言いませんが、自分の願望には自分自身が天下人として采配を振るいたいものです。
片想いでも復縁でも、お金の願望でも、そこに執着があれば必ず貴方は、自分の願望に偉業を成し遂げるでしょう。
本来、潜在意識の視点で見れば願望に簡単も難しいも無いのですが
家康の偉業と比べれば、あれほど難しく思えた、恋愛成就も復縁達成も、大金を得る事も簡単に思えてきませんか?(・∀・)
自分は潜在意識というものは、万物を創造した物の一つの姿と同じと考えているので、宇宙の創造や、今この時に遠い宇宙で起こっている現象と、自分の願望を比べ「星一つ作るのに比べれば、自分の願いが叶うのなんて簡単だな。」とか思ったりして瞑想に入っています。(・∀・)
今日は執着の必要性と消さない事の大切さを歴史の事実から学ぼうといった話しでした。(・∀・)
「願望達成に捨てる所無し」
復縁、恋愛など全ての願いが叶う、潜在意識、阿頼耶識を活用する瞑想法を紹介しております。メディア掲載歴【週刊SPA!】様 アイコン画像、チェ・ゲバラは 奥原純一 先生のご作品です。