というわけで、本日の第二部は、煩悩と、潜在意識、阿頼耶識の関係を今一度見なおして
願望と煩悩の関係を、皆さんと一緒に考えていければ幸いです。(・∀・)
煩悩(迷い)とはサヨナラ。潜在意識を活用すれば、右に行っても左に行っても成功します。
皆さんは煩悩に、どんなイメージがありますか?
恐らく願いを叶えることも煩悩に入るのではないかとお考えの方も多いと思います。
本来の煩悩というのは、ここに書き出すととても長くなるので、手短に書かせて頂くと(・∀・)
1.「欠乏感からくる渇望」
2.「瞑想などに対する怠惰」
3.「誰かに対する憎しみ」
4.「仏様が叶うと言ってるのに周囲の叶えてはいけないという言葉に対する執着」
5.「そして仏様、神様、潜在意識、阿頼耶識が叶える力に対する疑う心」
1.は失われたまま叶わないと思うから湧いてくる欠乏感ですよね。
調子がいい時は上機嫌なのですが、事が思い通りにならないと、途端に周囲に迷惑をかける言葉を吐いたりすることもここに当てはまります。
2.は日々の瞑想に限らず、皆さんが実践なされている方法を「面倒くさい」と中断してしまうことで
願いを本当に叶えたいのか本気度をはかる為に設けられたハードルに対する心的態度を指すものでしょうか。
3.は例えば好きな人に今現在パートナーがいたとして、そのパートナーさんに対して憎しみを持ってしまうことや、妬み、そねみなど嫉妬心も、ここに入ります。
4.は仏様、神様、潜在意識、阿頼耶識が本願や契約、法則に従い「叶う」と言っているのに、「デモデモダッテー」と叶わない方向ばかり見て愚痴っている状態です。
5.は先程のエントリーでも書かせて頂いた「本当に叶うの?」と疑ってかかる心的態度のことを指し、仏教を離れた聖書でも「神を試してはならない」と書かれているのですが、見えない力を疑ってる状態で、仏教では仏様の力を疑う限り、誰もその心を受け付けないとされています。
ざっとですが、潜在意識で願いを叶える部分に焦点をあてると、煩悩はこの様な感じになります。
煩悩の内容は他人の言動や、自分の心の外の世界に一喜一憂するというケースが多いように見え、中でもよく見かけるのが願望に関して誰かに依存してしまう状態ですが、この状態だと依存する相手の存在が命綱になってしまい、最後は相手の重荷になったりするので、いい結果は迎えられないんですよね。(・∀・;)
さて、煩悩との上手い付き合い方ですが、親鸞上人が生涯説かれた、「他力本願」が最適ではないかと考えます。
(※極楽浄土(願いが叶った世界)への往生(叶った別世界に移動すること)は、阿弥陀仏に無条件に己を任せて、帰依することで、阿弥陀仏が立てられた皆さんを救うという本願によって叶えられることを、他力本願と言います。)
潜在意識、阿頼耶識、神仏、名前は違えど、叶えてくれる見えない力が、全てを最善に導くことができるので
仏様の「あなたの願いを叶えたい、救いたい」という気持ちだけに浸りきり、感謝して、守られることで、親が赤ん坊に与えるように、必要な物を全て与えてくれる親子関係が築けるんですよね。(・∀・)
まず、煩悩という入り口があるから、神仏、潜在意識、阿頼耶識の力に気付くことが出来て、そして全てが準備されている世界を感じることが出来るので、まず煩悩や依存心を感じつつ、次のステップに進むために今の自分が出来ることを探してみたいですよね。(・∀・)
復縁の願いをお持ちなら周りの人に憎しみや妬みを感じたり、依存することもあるかと思います。
お金や健康の願いをお持ちの場合でも、誰かを羨ましく感じたり、自分の未来に疑いを持ってしまうことも当然ありますよね。(・∀・;)
そういう気持ちこそが尊い入り口なので、煩悩があるからと悲観せず、「じゃあ、どうするか?」という、現状に対する視点の変更を実践して頂けたら幸いです。(・∀・)
見えない力を感じて、繋がることで、すーっと視界が広がりますよ!(・∀・)
というわけで、本日の第三部
もよろしくお願い致します!
復縁、恋愛など全ての願いが叶う、潜在意識、阿頼耶識を活用する瞑想法を紹介しております。メディア掲載歴【週刊SPA!】様 アイコン画像、チェ・ゲバラは 奥原純一 先生のご作品です。