神仏運送会社に責任も任せましょう。潜在意識、阿頼耶識のトラック君が最善の形で遠いどこかに運んで解決してくれますよ。
今回は、恋愛、復縁、結婚もなのですが、潜在意識、阿頼耶識を活用して願望を達成する上で、私個人がとても大切にしていることを書かせていただければと考えております。
本日も何卒よろしくお願いいたします!
さて、以前数回に分けて(数年にまたいで)、「責任」について書かせていただいたことがあります。
「責任を取ることは、自分が所有している意識を作る」ということと
(リンクです)
「他人の責任まで被らない」というエントリーだったのですが
(リンクです)
ただ、「責任」とだけ書いてしまうと、やはり世界の全てを自分自身が背負ってしまう辛さを感じてしまうんですよね。(・∀・;)
そして、責任感が強い方ですと、「あの問題も」「この問題も」「あの人の悩みも」「その人の不幸も」と背負い込んでしまうんですよね。
まだ背負い込む元気があるのなら良いのですが、例えば「失恋」や「借金」「失業」などで、心が疲れ切っている状態なのに、「責任を感じてください」または「行動してください」なんて言われたら、鬼畜外道の言葉のように聞こえてしまいますよね。(・∀・;)
なので、今回は重たく感じてしまう「責任」という概念を可能な限り回避しつつ、潜在意識、阿頼耶識を活用して、恋愛、復縁、結婚に限らず、全ての願望を達成する考え方をお伝えできれば幸いです。
いつも、恋愛、復縁、結婚の話を例にあげて書かせていただいているので、今回も同じ例で書かせていただきますね。(・∀・)
潜在意識、阿頼耶識を活用して、恋愛、復縁、結婚の願いを達成する際の「責任」と言うと、皆さんはどのようなことを連想されますか?
「復縁や結婚をする、相手を喜ばせ続けなければいけない」
「あんなお世話、こんなお世話、常に相手の気持ちを優先して、関係を持続させる」
「男性だから、頼れる人間であり続けなければならない」
「女性だから、彼を癒やし続けなければいけない」
覚悟としては立派だと思うのですが、こんな辛い事を続けている夫婦なんて、世界に一組もいないと思うんです。(・∀・;)
周りから見れば、「そうそう、そういう姿勢が大切だ」と乾いた褒め言葉は飛んでくるかもしれませんが、人生や結婚生活は苦行じゃないんですよね。
「(願いに)責任を取れ!」「(達成する)覚悟をしろ!」
これじゃ大岡越前や、遠山の金さんに裁かれる罪人みたいな扱いじゃないですか?(・∀・;)
そのような物騒なことを言っているとしたら、それは他人様の人生に介入したい「人間」だけなんです。
皆さんが楽して成功したり願望を達成すれば、腹を立てる人は世界に一定数います。
同じように、皆さんが行動せずに成功を収めてしまえば、烈火の如く怒る人もいるんですよね。(・∀・;)
自力でやっても結果が出なかった側の我々とすれば、そんな、紐なしバンジージャンプみたいな無理難題を押し付けられても困るんですよね。(・∀・;)
潜在意識、阿頼耶識の法則を活用することは、「自力」ではなく「他力(仏様の力)」を委ねるのが大前提となります。
なので、どうせ他力を活用するのであれば、「責任」さえも、仏様や神様に背負って貰えば良いんです。(・∀・)
「そんなの無責任極まりない!」という声も聞こえてくるかもしれませんが、大丈夫です。
「あの人を幸せにする」という責任を感じている方がいらっしゃるのであれば、それも、潜在意識、阿頼耶識や神仏に任せてしまえば、そもそも最善の形で責任を果たせてしまうんですよね。
責任を意識するのは、願望達成を迎える「人」として正しい姿勢なのですが、それを全て自分が果たさないといけないと考えるのは誤解なんですよね。
洗濯物を冬の冷たい川の水で洗わないと家庭人としての責任を果たしてないというのは、間違っているのと同じなんです。
洗濯機を使って選択しても、食洗機を使って食器を綺麗にしても、それで十分なんですよね。
過程ではなく結果を重視するのが、潜在意識、阿頼耶識を活用した願望達成なので、結果良ければ全て良しなんです。(・∀・)
川の冷たい水で洗わなければいけない。これは自力です。
洗濯機や食洗機に任せて結果だけ受け取る。これは他力です。
(この話は例え話です)
なので、恋愛、復縁、結婚の願いを叶えようと、潜在意識、阿頼耶識の活用法を実践されている方であれば、あれこれ大切な人のことを考えてしまうと疲れませんか?
その原因は、恐らく「責任」や「覚悟」みたいな言葉が願望に重くのしかかって、他力ではなく、好きな人との一対一の関係を心の中で作られてしまっているからだと拝察します。
「あの人にこんなことをしなきゃ」
「あの人に人生を捧げて尽くさなきゃ」
このような世界が出来上がってしまい、願いを叶えるのが、潜在意識、阿頼耶識ではなくて、「あの人(=自力)」になってしまうんですよね。(・∀・;)
願いを叶えてくれるのは、「あの人」ではなくて、潜在意識、阿頼耶識なんですよね。
なので、間に第三者をはさむと良いんです。(・∀・)
その第三者は、もちろん神仏であってり、潜在意識、阿頼耶識です。
今ここ(願いが叶わない世界)に我執してしまうと、叶わない世界の大切な人とだけ向き合うことになります。
↓このような感じですね。
自分⇔相手
他力に任せて、願望達成に執着(サンスクリット語で理解の意味)できれば、お二人の間に神仏が入って仲人となってくれます。
↓同じくこのような感じです。
自分⇔神仏(潜在意識)⇔相手
この神仏を間に入れる方法は、会社経営の現場でも活用されているんですよ。(・∀・)
神棚を祀られて、その神棚を大切にされている企業さんは、そうではない企業さん(祀ってない、祀っても大切にしていない)と比べて、倒産する確率に天と地ほどの差があるそうです。
他力に委ねることで、取る必要のない責任の全てを神仏が引き受けてくださり、神仏の現世利益のご加護で現実的な利益を上げることが出来るから、いつまでも経営を続けていけることが、その理由だそうです。
恋愛、復縁、結婚の願望も同じことなんですよね。(・∀・)
まずは、大切な人との幸せな生活を先取りして、そのイメージを、潜在意識、阿頼耶識に受け渡すことだけに集中して、いらぬ責任は他力に任せてしまいましょう。
あえて「責任」について一つだけ書かせていただきますと
「自分が嫌なことは相手にもしない」だけで、責任は十分果たしているんですよね。
なので、色々背負わず、責任を背負い込まず、まずは「他力」である、潜在意識、阿頼耶識に全てを任せて、今ここの願いが叶わない世界に縛られないことで、ラクに願望を達成していただけましたらと願っております。(・∀・)
あれこれと責任を背負わずとも、願いは叶えられてしまうので、それで良いんです!(・∀・)
本日の、潜在意識、阿頼耶識活用法の「まとめ」です。
・今ここ(願いが叶わない世界)で大変な目に遭っているのに、責任や決断を急かすのは悪手中の悪手です。
・色々と責任を背負い込んでしまえば、願いが叶わないばかりか、気苦労ばかり増えてしまいます。
・責任や決断は、自力の範疇に入るものなので、「他人に迷惑をかけない」くらいで丁度いいです。
背負いすぎれば、解決するべき問題や課題が、ねずみ算式に増えるだけです。
・あまり責任感が強いと、他人の責任まで背負わされて、苦労してしまいますよ。
そういう生き方は、自分を痛め付ける「親不孝」な生き方でしかありません。親とは仏と、潜在意識、阿頼耶識のことです。
・人は他人に支配欲や同調圧力を向けるとき、「責任」「行動」「決意」という他罰的な言葉を投げかけます。
それを言う本人が責任を取る姿を見ることは、ほとんどありません。
・恋愛、復縁、結婚の願いでありましたら、「おかえりなさい」の世界を大切にすることが、責任を最善の形で果たしたことになります。
。
・潜在意識、阿頼耶識で他人(Aさん)は変えられます。それは別の世界で、別の他人(Aさん)と出会うからそうなります。その達成感を得るために、責任を感じることは必要ですが、「他人に迷惑をかけない」だけで十分なんです。
幸せになるんだから、重たい責任は、神様や仏様に背負ってもらいましょう!
重たい荷物(責任)は、安心のクロネコヤマトさん(仏)か、信頼の佐川急便さん(神)に任せて、皆さんはヘリコプターで願望達成の目的地に向かわれれば、それでいいんです。(・∀・)
というわけで、また近日中に!
良き、潜在意識、阿頼耶識活用を!(・∀・)ノ
復縁、恋愛など全ての願いが叶う、潜在意識、阿頼耶識を活用する瞑想法を紹介しております。メディア掲載歴【週刊SPA!】様 アイコン画像、チェ・ゲバラは 奥原純一 先生のご作品です。