今回は、「私は何をしても救われない」とお感じの方と、悪人正機、他力本願、この2つの世界をご一緒することで、「あ、私も救われるんだ」と心で感じていただき、「今現在、この時に救われてる」と現実的な効果を体感していただければ幸いです。
何分、自分も超が付くほど後ろ向きで、ネガティブな人間なので、本日の旅をご一緒する皆さんと、救われようと張り切っております!
本日もよろしくお願いいたします!m(_ _)m
早速なのですが、「どうして悩んでいるの?」と問われたら、皆さんどう答えられますか?
返答に困りますよね。
原因が分からないから悩み続けている方がほとんどだと拝察します。
「原因は分かっている」と思うような問題であっても、よくよく考えれば、「どうして問題が起きるのか」という新しい問題が出てきて、心の中が堂々巡りになってしまうのではないでしょうか?(・∀・;)
私たちは、このような闇の中に生きているので、この先に何があるのか分かるはずもなく、それ以前に自分の側に何があるのかすら見えません。
そういった人生の中で、私たちはより良く生きるために様々なことを考え、そしてまた悩みます。
いつの時代か遠い昔の話なのですが
「どうせ救われることなんて無いのだから、自分勝手でいいじゃないか?」
「あの人が悪い、この人が悪い、私は正しい、デモデモダッテ」
「この世に救いなんかあるものか!私は救いの対象ですら無い」
私たちのご先祖様は、このような考え方を頑なに変えようとせずに、生きていたらしいです。
当然の結果かもしれませんが、このような人々を見た世界中の仏様たちは「どれだけ手を差し伸べても無駄だから」と、このように衝動と感情だけで生きる人々を見捨てられるという大事件が起きました。
「悪衆生」と「傲慢、邪見」とは?
傲慢、邪見に突き動かされて生きる人々のことを、悪衆生と言います。
傲慢は、他人と比較して自分の正義と自力の力を疑わず勝ち誇る心で、邪見は何を見聞きしても、間違った受け取り方をしてしまい決め付けてしまう「心のあり方」を言います。
こう書くと、「悪衆生とは、随分と悪い人種だな」と思ってしまうのですが、そう思ってしまう私たちの心が「傲慢」であり、また、私たちは自分自身をなかなか振り返れないことも「邪見」になるのではないかと考えられます。
正直な話、ずっと遠い時代に仏様から見捨てられた人々の話は他人事とは思えませんよね。(・∀・;)
そこで、登場されたのが、阿弥陀如来様です。
阿弥陀如来様が、仏様になるために修行なされていた頃のお名前は、法蔵菩薩と伝えられます。
その、法蔵菩薩は仏様になる前に願いを立てられました。
「もし、私が世界中の仏様からも見捨てられた悪衆生、そして十方衆生(全ての人々)を救えないのであれば、決して仏にはならない」
そして、阿弥陀如来という仏様になられます。
法蔵菩薩は「全ての人々を救う」という願いを達成されて、その力を得られたということなんですよね。(・∀・)
この、「全ての人々を誰も漏らさず救う」という、阿弥陀如来の願いを、「誓願」と言います。
誓願は読んで字のごとく、「誓った願い」なのですが、この「誓う」が、皆さんに向けられている誓約(必ず守ると約束すること)だと感じ取ることができますよね。(・∀・)
この「誰も漏らさず救う」という誓願は、阿弥陀如来様が立てられた四十八願にある、「第十八願」と言われるのですが
この十八番目の誓願こそが、私たち人類に寄り添われる仏様の「本願」として、重要視されているんです。(・∀・)
「全ての人を救おう」とする阿弥陀如来の誓いを「本願」と書くと、どこか「阿弥陀様が一人で勝手に思ってること」だと他人事に感じてしまい、どこかで「私の存在に阿弥陀様が気付かないと救われない」といった考えが湧いてきますよね。
しかし、「誓願された」と本意を汲み取れば、仏様が向けられる「救いの手」は皆さんにとって他人事ではなく、仏様と皆さんが個人的に約束されていることだと、理屈ではなく「心」で汲み取ることができますよね。(・∀・)
ここで、少し話が戻ります。m(_ _)m
「デモデモダッテ」
「私は救われない」
「自分勝手に生きる」
このような考え方を表に出して生きていれば、当然のことですが、「あの人は何を言っても、悪い意味にしか受け止めない面倒くさい人」と思われたり
自分勝手に生きれば、地域に損害を与える存在として周囲から認識されてしまい、集団の輪や社会から弾き出されます。
信用がなければ何かが起きたときに、最悪の場合「あいつが悪い」と犯人扱いをされてしまい、生存することすら許されなくなるかもしれません。(・∀・;)
このように、苦しみ抜いている人たちを誰も救うことが出来ず、その結果として社会から追い出してしまうことを、「悪衆生を仏様が見捨てられた」と仏教では例えられているのかなと自分は考えております。
なので、困り果てて自暴自棄になった人を社会が見捨てても、「仏様は決して見捨ず救われる」とされる、悪人正機の話が、法然上人や親鸞上人のお言葉として残され、多くの人たちを救われてきたのだと拝察しております。
(・∀・)
引き続きよろしくお願いいたします!
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