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執着
執着(しゅうじゃく、abhiniveza अभिनिवेश (sanskrit))とは、仏教において、事物に固執し、囚われる事。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きと考えられている。
執著とも書く事がある。仏教術語というより、一般的な用語であり、現代語の執着(attachment)によく似た意味で、煩悩の術語としてのraaga(愛)あるいはlobha(貪)に近い。
サンスクリット原語は、abhinivezaの他に、sakti、aasakti(没頭する事)、 parigraha(摂取、所有)などよ良い味でも使われる語が同時に執着の意味を持ち、 graaha(にぎる、理解)、adhyavasaaya(決知、判断)など認識にも関わる語が執着の意味で用いられる。
キリスト教では愛を説くが、上記の見解から、仏教では愛ではなく慈悲を唱える。
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執着も原語を探り視点を変えれば、囚われの意味として受け止められたり
愛や没頭、決知、判断の意味として受け止められます。
恋愛の願望に執着はダメ?
そんな事は有りません、会話も無い倦怠期の夫婦を目指すならともかく、執着を捨てる事や相手に固執しない事に拘り続けたら、そもそも復縁系や片想い系の願望は、願望として成立しません。
金持ちや商売人を見て「お金に執着する事は汚い、タブー」と言っているのと同じなんですよね。
そんな人には決してお金は入ってきません。
潜在意識にとって得る事は同じだと前提を思い出してください。
お金と愛を置き換えてみましょう、執着をタブー視する事の馬鹿馬鹿しさが見えてきます。
執着もまたモチベーションの一つです、それにラブラブの恋人同士や夫婦間にも大なり小なり相手への執着は絶えずあります。
もし執着がイケナイなら、上記のラブラブ恋人関係や夫婦関係すらそもそも最初から成立しない事になってしまいます。
いちばんイケナイのは、執着をタブー視して自身の中に恐怖感や願望を持つ事に対して罪悪感を植えつけてしまう事です。
執着をタブー視して恐れればそのままの結果、しなければその様な結果。
それだけの事なんですよね(・∀・)
一番大切なのは貴方がどのような結果を手にすれば納得できるか?です。
余談ですが、自分は特定の相手である我が家の嫁さんと付き合うイメージを瞑想していた時、色んな経緯があって執着していました(・∀・;)
でも結婚しました。
復縁、恋愛など全ての願いが叶う、潜在意識、阿頼耶識を活用する瞑想法を紹介しております。メディア掲載歴【週刊SPA!】様 アイコン画像、チェ・ゲバラは 奥原純一 先生のご作品です。