お久しぶりです。(・∀・)
今日は、物事が上手く進んでいるように見えているのに、気が付けば、願望が達成されず状況がループしているといった
状況から、上手く抜け出す為には、どうするべきか?といった事を一緒に考えさせて頂ければと思っております。
瞑想や断言法、その他の色々な方法を楽しんでいると
願望に関係する、一見、発展的に見える経験をされる方が多いです。
というか、ほとんどの方が、その様な経験をなされているのではないでしょうか?
例を挙げると、好きな人と同じ苗字の人を頻繁に見かける。とか
同じく、意中の人の誕生日と同じ数字を見かけた・・・等。
シンクロと言われる物も、この中に入るのでしょうか。(・∀・)
余りにも、こういった願望達成へ向かう経過の中での出来事を注視し過ぎると
達成する目的が、本来の「願望を叶える」事から、「願望に関連した何かを見かける」事にズレてしまう事が多々あるんですよね。
「願いが叶いそうで叶わない」
「願望に関連した、ある程度の現象は牽引できるんだけど・・」
といった、質問を頂くことが多いのですが、「ゴールに至る経過の出来事で、ある程度満足してしまっていないか?」といった問いを自分自身に投げかけると、答えを発見できるのではないかな?と、自分は考えております。(・∀・)
「では、こういった現象が現れても喜ぶ事は、許されないのか?」といった話しになりそうなので、その辺りの話しをさせて頂くと
過去の偉人達が行った、精神修行の過程に答えを見つける事が出来るように思えます。
かつて、釈迦が修行を行っていた時、魔王の娘である「渇愛」、「快楽」、「嫌悪」という名の、三人の美女から何度も誘惑をされるという、有名な逸話があります。
「そんな事はやめて、もっとキモチイイ事をしようよ~」といった感じでしょうか?(・∀・;)
イエスも荒野での修行中に、似たような3つの誘惑をサタンから受けています。
彼らは、誘惑を乗り越えて、その後、歴史に名を残す偉人になって行くのは、ご存知の通りなのですが
悪魔の誘惑を乗り越えられなければ、彼らは偉業を残す事無く、偉人として語られる事も無かったと容易に想像が出来ますよね。(・∀・;)
私達が経験する、願望に関連する出来事というのは、実は上記の偉人が経験した誘惑と、同じ物ではないでしょうか。
では、上に書いたように「現象を喜ぶ事は、許されないのか?」という話しに戻るのですが
イエスも釈迦も、確実に前へ進んでいる過程の中で、誘惑を受けているわけで
「願望に関連する不思議な現象(誘惑)の発生=達成への前進」と考える事が出来るんですよね。
なので、願望に関連した現象が現れること自体は喜んで良いと思います。
でも、最初に書かせて貰ったように、現象が発生する事に飲み込まれずに、「不思議な現象が発生しているのは、確実に前へ進んでいるから」と、第三者視点で、軽く楽しむくらいの余裕を持って、現象を受け止めてあげれば
シンクロの発生を上手に受け止めつつ、誘惑に惑わされず、「状況がループしていた」といった状況から抜け出す事が出来ると思っております。
ブログのトップに載せさせて頂いてる
「何かを望むなら、その事柄を寝ても覚めても、ひたすら想い続けよ
そうすれば、たとえ、よこしまな思いでも叶えられる」
といった道元は
「座禅中に、神や如来や菩薩が現れたら、想像の中で槍を持って突き殺せ」とも説き
座禅や瞑想によって起こる神秘体験に引き込まれ、こだわりを持つ事を厳しく諌めました。
この道元の言葉から、願望に関連した現象に、一喜一憂して振り回されず、確りと潜在意識の中に、「今現在、達成された」状況を刻印する事が、どれだけ大切な事なのか、改めて考えさせられる次第です。
お金や物質的な願望から、恋愛、復縁の願望等、色んな願望をお持ちだと思いますが、着実にゴールへ向けて進むことで、大きな幸せを掴んで頂ければ嬉しい限りです。(・∀・)
今日は、前に進めば風景が目新しいものに変わりますが、到着すべきゴールを、確りと見据えましょう。
といった話しでした。(・∀・)
最後までご覧いただきありがとうございました。(・∀・)