ヒンドゥー教の神々、潜在意識、阿頼耶識を活用して、今日も願いを叶えていきますよー!
エゴや執着心と楽しく踊るのが、ヒンドゥー流の潜在意識、阿頼耶識活用法!
今回は、仏教の母体となったヒンドゥー教(正しくはバラモン教が母体です)の思想に見える、現世利益の世界を追いながら、煩悩、エゴ、執着に悩まれる方々と、「このままでも大丈夫なんだ!」という世界を楽しめたらと考えております!
本日も何卒よろしくお願いいたします!m(_ _)m
前回、ヒンドゥー教の歴史を紹介したのですが、言葉足らずだったので、もう一度ざっと紹介しますね!
バラモン教から発展した思想がヒンドゥー教です。
【主神の違い】
バラモン教→インドラ
ヒンドゥー教→シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマー
ヒンドゥー教は4世紀のグプタ朝時代に成立したとされますが、今も歴史学者さんの間でも意見が定まっていません。
当ブログでは、バラモン教が洗練される中でヒンドゥー教に変化して行った過程を重視して、インダス文明の発生(紀元前5000〜7000年)とともにヒンドゥー教が始まった説を取っております。m(_ _)m
長い長い歴史を持つ、伝統的な思想なんですよ!(・∀・)
突然なのですが、潜在意識、阿頼耶識で達成する『願望とは何か?』と定義づけるとしたら、「こうありたい」と願う、煩悩、エゴ、執着による、渇愛なんですよね。
このようなことを書くと驚かれるかもしれませんが、「願望=エゴ、煩悩、執着」なんです。
なので、エゴや執着を忌み嫌う方々から、特定の願望を叶えることは、とにか厳しく裁かれて嫌われます。
しかし、最近ブログで書かせえていただいているように、「エゴ」「煩悩」「デモデモダッテ」は、皆さんを幸せに導いてくれる、潜在意識、阿頼耶識を活用する学校の先生で、ナビゲーションシステムなんです。
ヒンドゥー教などのインド哲学と共にある、サンスクリット語はヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語なのですが、現在もサンスクリット語は、その言語自体がインドの方々から大きな尊敬を受けているんです。
そのサンスクリット語で、「執着」は「理解する」という意味なんですよね。
「エゴ、煩悩、デモデモダッテ」は、総じて『執着』と一括りで考えることが出来るのですが、執着心があるからこそ、「叶えられた世界を理解できる」「幸せを理解できる」「そして、遠く離れてドリームタイムという、潜在意識、阿頼耶識にある、願望が叶えられた記憶を思い出す」という、願望達成の思想に繋がって行くんです。(・∀・)
この考えは、いつも書かせていただいているように、大乗仏教の「煩悩即菩提」という、エゴ(煩悩、執着)があるからこそ、皆さんは願望が達成された絶対幸福の浄土に行ける!という、私達の身近な考えにも影響を及ぼしているんです。
さて、話は戻りまして、恋愛、復縁、結婚などの願望達成が、戒律が厳しそうなインド哲学や、ヒンドゥー教で肯定されているのか?という疑問が湧いてきますよね。(・∀・;)
約7000年(インダス文明が紀元前5000年に誕生したので)以上の歴史を持つ、ヒンドゥー教が「大丈夫だよ!」と太鼓判を押してくれたら、こんな心強い話もありません。(・∀・)
ヒンドゥー教では、人生には3つの目標があるとされています。
1.ダルマ
ヴェーダ(インド哲学が満載された人生の教科書です)を学習して自分の生き方を大切にしましょう。
2.アルタ
理想論に逃げずに、人生で利益を追求して願いを叶えましょう。
3.カーマ
恋愛、復縁、結婚の喜びを最大限に楽しんで、人生の美しさを受け取りましょう。
驚きましたよね!9000年の歴史があるインド哲学とヒンドゥー教に、皆さんの「恋愛、復縁、結婚」などの願いは全肯定されているんですよ!(・∀・)
そして、上でも書かせていただいたのですが、「エゴ、煩悩、デモデモダッテ」などの『執着』さえも、やはり幸せな願望達成を迎えるための、ナビゲーションシステムだと定義されているんですよね。
「特定の人との願望を叶えるのは、ダメです!」
「デモデモダッテと納得しなければ、願望が叶うことはありません!」
「エゴを捨てない、執着はダメです!」
潜在意識、阿頼耶識
を活用して、願望を達成されたい方々は、非常に厳しいこのような言葉を拝見されて、「じゃあ、どうしたらいいの?」と、路頭に迷われたこともあるのではないかと拝察するのですが、「ダメです」は、あくまで自力の世界で人間が出す「ジャッジ」であって、他力(
潜在意識、阿頼耶識
)の世界では、何の意味もないんです。(・∀・)
エゴや煩悩があっても、どれだけ「アドバイスを聞いたけど、叶うはずがないよ…」とデモデモダッテされても、そういった執着があるからこそ、願いは叶うとされているのが、神仏(潜在意識、阿頼耶識)の慈愛なんですよね。
潜在意識、阿頼耶識のご沙汰は、物理的な矛盾や、解決不可能な問題も超えて、皆さんの願望を達成してくれます。
じゃあ、解決不可能に見える、エゴや煩悩、そして執着があっても、願いが叶えられるのが当然なんですよね。(・∀・)
どんな矛盾や問題も超えて解決するのが、潜在意識、阿頼耶識
なのに、エゴと煩悩、そして執着だけは例外でダメというのは、それこそ、
潜在意識、阿頼耶識
の法則であったり、悪人正機説や、煩悩即菩提に見られる、神仏の慈愛の心を奪ってしまう考えになってしまうんです。(・∀・;)
皆さんの、恋愛、復縁、結婚などの願望について、ブログ開設から現在まで、「絶望的と思えたけど叶えられました!」という、読者様から数多くのお便りをいております。(皆様、本当にありがとうございます)
願望達成を迎えられた先輩も、「絶望的」と思える状況から離れずに、ただただ、潜在意識、阿頼耶識を活用されることで、他力(神仏)のご沙汰で願望達成されているんです。(・∀・)
この「絶望的」は、エゴや煩悩の感情であって、恐らく口には出されませんが、デモデモダッテに何度も悩まれつつも、ちゃんと願望を達成されているんですよね。
なので、繰り返しになりますが、皆さんが、どんなに悩んでいたとしても、「無理だよ」と不安に包まれたとしても、潜在意識、阿頼耶識は「人を選ばない」ので、恋愛、復縁、結婚などの願いは、ちゃんと達成されるんです。(・∀・)
では、どうアプローチして行けばいいのか?という疑問になるのですが、当ブログでは、毎度変わらずですが、をお勧めいたします。(・∀・)
達成された世界を受け取り続ける瞑想法も、として紹介しておりますので、よろしければご覧いただけましたら幸いです。(・∀・)
願望を叶えたけど「エゴが強いから…」
いやいや、大丈夫なんですよ。(・∀・)
エゴや欠乏感や、どうしても納得できないデモデモダッテ、そして執着心があるからこそ!
その思いと同量の幸せが、コインの表裏の関係で存在しています。
そして、欠乏感やエゴの量だけ、瞑想などで達成感を受け取り続ければ、その分だけ幸せに叶います!
もちろん、叶えた後も、幸せや願望達成は与えられ続けるので、叶えてからも「更なる幸せ」を受け取り続けることが出来るんですよね!(・∀・)
なので、いつも書かせていただいているのですが、どれだけ「ダメだ」と絶望されていても、潜在意識、阿頼耶識を活用すれば、どなたでも願望は達成されてしまうんです。(・∀・)
そして、潜在意識、阿頼耶識の法則は、達人と呼ばれる人だけが独占して使えるものではなく、今このとき「どうしよう」と困られている、皆さん(凡夫バキュも含む)のためにあるんですよ。(・∀・)
これからも、悩まれる幸いの我が子のためにこそ、恋愛、復縁、結婚などの願いが叶えてくれる、神仏(潜在意識、阿頼耶識)の慈愛は、真っ先に駆けつけるというエントリーを書かせていただけたらと考えておりますので、エゴや執着を持ったまま、達成された世界を、何度も何度も「受け取り続け(思い出し続け)」ましょう!(・∀・)
困っている人にこそ寄り添う、潜在意識、阿頼耶識活用法の「まとめ」です!
・潜在意識、阿頼耶識は願望を叶える人を「選びません」し「ジャッジ」しません。
ただただ、困っている我が子の願いを叶えようと、皆さんの側に寄り添っています。
「困ってない人」を演じる、達人と呼ばれる方々も、内情は困っているもので、だから叶うんです。
人が人である以上、悩みは尽きないものです。でも、誰もが願望は叶えられるんですよね。
・伝統があるヒンドゥー教では、「3つの目標を遂げる」ことを推奨されています。
「よりよく生きること」「悟りではなく実利(願望達成)を得ること」「恋愛、復縁、結婚の願いを叶えて楽しむこと」
約7000年も、迷われる人々の願望を叶え続けたヒンドゥー教に見えるインド哲学が、皆さんの願望は「叶う!」と太鼓判を押してます!
・エゴや煩悩、デモデモダッテは、総じて
「執着」なのですが、インダス文明の智慧を残した、権威ある言語であるサンスクリット語では、「執着は理解」とされています。
恋愛、復縁、結婚の願望にエゴや煩悩を感じ、執着するからこそ、願望が達成された世界や、オセアニアの伝統思想であるドリームタイムに見る「叶えられた世界を思い出す」という、潜在意識、阿頼耶識の世界を見ることが出来ます。
・エゴや煩悩、そして執着が、「願望」や「願い」なんです。
でも、執着さえも達成する「理解」なのだから、何も怖くありませんよね!どのような方であっても願望は叶います!
というわけで、また近日中に!
復縁、恋愛など全ての願いが叶う、潜在意識、阿頼耶識を活用する瞑想法を紹介しております。メディア掲載歴【週刊SPA!】様 アイコン画像、チェ・ゲバラは 奥原純一 先生のご作品です。