種がその生を終えるから、発芽があり、実りがあります。ヨハネによる福音書に書かれる一節は、潜在意識、阿頼耶識の法則と同じですね。(・∀・)
今回は、ご高評をいただいている、聖書に見る、潜在意識、阿頼耶識の活用法です!(・∀・)
物語としても壮大で、実用的な成功法則が溢れている聖書。
こんな素晴らしい知恵を、皆さんがお持ちの願望に活用しないのは勿体無いですよね。(・∀・)
恋愛、復縁、結婚の願望をお持ちの方であれば、神様(潜在意識、阿頼耶識)が「仲人」としての、お力添えをいただけるのは、とても心強いかと拝察します。
就活を頑張られている方であれば、神様が最高のエージェントとして、皆さんを応援してくださることを想像してみると、今ここ(叶わない世界)で頑張られている分だけ、安心感を得ていただけるのではないでしょうか?
というわけで、聖書に見える願いが叶えられた世界シリーズの始まりです!
本日も何卒よろしくお願いいたします!m(_ _)m
新約聖書の中に第四の福音書と呼ばれる「ヨハネによる福音書」があります。
このヨハネによる福音書は、かの宗教改革者として名高い、マルティン・ルターにも高く評価されているものです。(・∀・)
福音書と言えば、ルカ、マタイ、マタイの名高いのですが、ヨハネによる福音書は、聖書の世界観を深く伝えるものとして、とても高く評価されているんです。
ヨハネと言えば「黙示録」と「手紙」も、前者は預言書として、後者はイエスの心を信じれば永遠を得るという、圧倒的な世界観で評価されているのですが、今回はヨハネが残した「福音書」がテーマとなります。(・∀・)
「ヨハネによる福音書」の中に、このような一節があります。
もし一粒の麦が地に落ちて死ななかったならば、一粒の麦にすぎない
しかし死んだならば、豊かに実りを結ぶようになる
(ヨハネによる福音書12章24)
「死」という物騒な一文字が出てくるので、驚いてしまいますよね。(・∀・;)
この「死」とは、いったい何を意味して、その正反対の意味であろう「生」とは何を指しているのか、皆さんも気になってしまいますよね。(・∀・)
ヨハネによる福音書に記されている、この話を、恋愛、復縁、結婚の願いに沿って考えてみましょう。
まず、麦が地に落ちて「死」を迎えるということは、麦が種としての生涯を終えるということです。
麦が地に落ちて、その生涯を終えれば、その種から芽が出て新しい命として、豊かな実りとなります。(・∀・)
「死」と「生」は切り離されたものではなく、絶えずサイクルする一対の存在として、ヨハネによる福音書の12章で説かれているんですよね。
もし、麦が種のままで大地に落ちずに、例えばコンクリートの上にでも落ちてしまえば(当時はコンクリートはありませんでしたが…)麦は麦の形のまま、芽が出ることもなく、ひょっとしたら地中深くから化石として発見されるかもしれません。(・∀・;)
この「死」を、復縁を願うスタート地点になる「失恋」や、誰かを好きになったけど関係が成就していない「片思い」のスタートと考えてみると、全ての願いを叶えてくれる、潜在意識、阿頼耶識的な、とても興味深い世界観が見えてきます。(・∀・)
失恋があるから、復縁が達成されるという、恋愛関係のサイクルがあると気づくことが出来るんですよね。
同じように、好きな人が振り向いてくれないという、欠乏した状態である「片思い」の期間も、潜在意識、阿頼耶識を活用すれば、死(欠乏)と生(達成)のサイクル期間にあることが理解できます。
復縁を願われる方であれば、失恋をした瞬間を思い出すだけで辛いですよね。
あの瞬間に「心が引き裂かれて死んでしまった」とさえも、考えられる方も多いのではないでしょうか?
同じように、片思いの願望を達成されたい方も、大好きな人が他の異性と仲良くしていたり、態度が素っ気ないと、その都度「失恋」を経験したような気持ちになりますよね。(・∀・;)
でも、そこで自分自身では太刀打ちできない、「死」とさえ感じる辛い時間があったからこそ、潜在意識、阿頼耶識を活用して、恋愛でしたり、復縁、結婚の願いを叶えようと、願望が願望として皆さんの心に湧いてくるのも事実なんです。
そして、最も重要なことは、「願望は達成できるから、願望として心から湧いてくる」ということなんですよね。(・∀・)
欠乏があって、願いが湧いてきて、その願いは「達成できるから心から湧く」という、潜在意識、阿頼耶識を活用した願望達成の流れも、ヨハネによる福音書にある「死」と「生」のサイクルと全く同じなんです。(・∀・)
使徒ヨハネは、「麦の種」という表現を使って、神様(潜在意識、阿頼耶識
)による、願望達成が約束されていることを、後世に残したのですが、
潜在意識、阿頼耶識の法則と縁起の、阿頼耶識縁起には、この世界の全ての事象(願望達成も含む)が予め準備されていて、そこにイメージの「種子」が根付いて、その芽を出すことで、恋愛、復縁、結婚、就活、それ以外の「全ての願望が達成される」とされているのが、興味深いですよね。(・∀・)
潜在意識、阿頼耶識を活用して、願望を達成する、東西の叡智の共通点が見えてきます。(・∀・)
なので、失恋して凹んでも、ネガティブになっても大丈夫なので、安心されてくださいね。(・∀・)
凹んだり、心の状態が落ちて(ネガティブや欠乏を知って)、初めて本心や願望を発見できたり、潜在意識、阿頼耶識の法則や、「願望が達成される」という事実に気付けることもあるんですよね。
失ったからこそ、本当に達成したい幸せや、本心から叶えたい願望との出会いもあるんですよね。
そして、その幸せな世界や、叶えたい願望は、聖書であれば神様との契約として、仏教であれば、仏様が我が子を思う慈悲の心で強制的に叶えられてしまうんです。(・∀・)
そう考えると、失恋や大切な人の素っ気ない態度さえも、最善に続く道であるとも思えてきますよね。
そして、その思いは、儚い思いのまま終わるものではなく、本当に達成されてしまうので、失ったことさえ達成の喜びになるんです。(・∀・)
以前、潜在意識、阿頼耶識で願望を達成することは、コインの裏表のようなものですよと書かせていただいたことがあります。(・∀・)
コインの裏表について書かせてただいた、当ブログの参考エントリーです。
よろしければご覧ください!(・∀・)
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(全て当ブログ内のリンクとなっております)
このように、「悩み」「不安」「欠乏」「寂しさ」と、願望達成はコインの裏表の関係と同じで、ネガティブな気持ちが強い分だけ、その願望が達成されることが約束されているんですよね。(・∀・)
不安や悩みの大きさは、願望を達成するため、潜在意識、阿頼耶識に蒔く「種の大きさ」だとイメージしていただけましたらと考えております。
新約聖書の中でも特に高く評価されている、「ヨハネによる福音書」の世界観に、皆さんの願望を当てはめて考えてみると
失恋や、ひょっとしたら上手く行かない片思いや就活を経験されて、「欠乏感」を感じられても、それは願望の種が、エデンの園や、潜在意識、阿頼耶識に撒かれて、種としての生を終えて、「芽」としての新しい生の期間に入ったということなんですよね。
そして、種としての期間、芽としての期間、そして豊かな実をもたらしてくれる、サイクルの中で、その種のDNAが失われたり、変わったりすることもありえないんです。(・∀・)
なので、サイクル期間があるからと言って、大好きな人を諦めて新しい恋との成就に進むのではなく、失恋をした相手との恋愛成就であったり復縁成就も、DNAが代々受け継がれるように続き、潜在意識、阿頼耶識の法則により達成されるということになります。
本日の聖書に見える願いが叶えられるシリーズはいかがでしたか?
皆さんの願いは、それがどんな願いでも、神様(潜在意識、阿頼耶識)が達成してくれるという、世界の景色を少しでもご覧いただけたなら、これ以上の喜びはありません。
その願いは叶えられますので、「安心感」を感じられてみてくださいね!
本日の、潜在意識、阿頼耶識活用法の「まとめ」です。
・「死」と「生」は切り離された概念ではなく、一対の概念です。
なので、「失恋」という心が死んでしまいそうな瞬間や、切ない「片思い」には、「達成」が一対の世界として存在します。
・恋愛が出来るから、失恋が出来ます。それと全く同じで、失恋が出来るから、また復縁も出来ます。
失ったかか得たかは、我々人間の自力の視点であって、他力(潜在意識、阿頼耶識)の視点では、どちらも等しく可能であるということなんです。
・この一対の考えは、「潜在意識、阿頼耶識の法則は、コインの裏表」であることをイメージしていただければ幸いです。
・「不安」「欠乏」「悩み」に悩まれている方々も、そのネガティブ(叶えたいと願う気持ち)の量だけ、願望の達成が約束されているということですので、どうか安心されてくださいね。
・自力では難しくても、他力(潜在意識、阿頼耶識、神様の法則であれば願いはかないます。法則の「法」は、仏法、法律など、誰にでも等しく適用されるもので、再現性がある力であるという意味なんです。
というわけで、今日はここまでです!
目指せ月に20更新!また近日中に!(・∀・)ノ
復縁、恋愛など全ての願いが叶う、潜在意識、阿頼耶識を活用する瞑想法を紹介しております。メディア掲載歴【週刊SPA!】様 アイコン画像、チェ・ゲバラは 奥原純一 先生のご作品です。