今日も、潜在意識、阿頼耶識の慈愛を受け取り続けて、願望達成と最善な幸せをつかみ取りましょう!
イエス・キリストは、どこまでも神仏(潜在意識、阿頼耶識)の慈愛と救いを届けました。
優しい微笑みを投げかけながら、他の誰でもない、皆さんに寄り添われています。
本日は、聖書シリーズです。
聖書でも、旧約聖書と新約聖書があるのですが、イエス様のご生涯と使徒の方々の言葉が詰め込まれた、新約聖書にある「漠然とした疑問」を、皆さんと解決して、神仏(潜在意識、阿頼耶識)の無限の慈愛を受け取れたらと考えております。
恋愛、復縁、結婚の願いを叶えたいけど、寂しさや不安に押しつぶされそうな日々を送られる皆さん。
生活や人間関係の悩みで、辛い日々を送られている方々に、自分の稚拙な文章ですが、神仏と、潜在意識、阿頼耶識がいつも寄り添われていることを、少しでもお届け出来たら幸いです。
それでは、本日もよろしくおねがいします。(・∀・)
早速なのですが、新約聖書を読み解いていると、ふとした疑問が湧いてきます。
「どうして、神様の御子たる、イエス様は磔の刑場から助けて貰えなかったの?」
「イエス様は僅かな金銭でユダから売られたことを察してられたのに、神様に助けてもらえなかったの?」
国内では鎌倉時代に、日蓮宗の開祖たる日蓮が同じように、弾圧により処刑されそうにるのですが、日蓮は仏様の奇跡で助けられているのを考えてみると、イエス様が磔に服されたエピソードは対照的で、あまりにも寂しく、そして胸を締め付けらるような心境になります。
日蓮上人が処刑場から奇跡的に生還されたエピソードも、よろしければ併せて御覧ください。(・∀・)
こちらもよろしければ。
日蓮上人のエピソードとイエス様のエピソードを重ね合わせると、「ただ、日蓮上人の願望達成力が高かったんじゃない?」という誤った考えが湧いてくるのですが、ジョセフ・マーフィー博士が度々紹介されていた、絞首刑から生還した男性の話を知ると、「イエス様は自ら磔に服されることを望まれたのではないか?」という新しい疑問が湧いてきます。
私事で恐縮なのですが、この疑問がずっと頭から離れなかったので、何度も聖書や解説書に目を通して、勉強させていただきました。
すると、驚くべきと言いますか、あまりにも優しくて深い悲しみさえ感じてしまう、慈愛に溢れたイエス様のお気持ちが見えてくるんですよね。
ユダに売られて、囚われの身になったイエス様は、まず一人の男性の命を救います。
その男性は世を騒がせたことと、人の命を奪ったことでイエス様と同時期に収監されていた、バラバという強盗でした。
エルサレムを統括していたローマ総督のピラトは、気の迷い?慈悲と言うのでしょうか?
驚くべきことを、広場に集まったエルサレムの民衆に問いかけます。
「この人の命を奪った強盗バラバを助けるか!神の子イエスを助かるか!お前たちが選べ!」
イエスを激しく敵視していた、ユダヤ教の司祭たちに扇動されたエルサレムの民衆は、「強盗バラバを救え!神の子だと?それがどうした!」と、バラバを助け、イエスを処刑することを叫びます。
ローマ総督ピラトは、「エルサレムの民衆は人命を奪った強盗を助けるのか」と、半ば呆れ顔になったそうです。
こうして、イエスは磔に処されることが決定しました。
イエスの裁判のエピソードを表面的に知る限り、「イエス様は運がなくてかわいそう」という印象だけを持ってしまうのですが、聖書を読むと、イエス様は逮捕されることをご存知で、更に自ら望まれて囚われて、そして牢獄に閉じ込められることを選択されているんですよね。
「どうして、無実のイエス様は望まれて逮捕されたのか?」という疑問が湧いてくるのですが、誰も神(潜在意識、阿頼耶識)の慈愛と法則の救いを届けようとしない、暗い牢獄に届けるために、自ら望まれて逮捕されて、そして酷い暴力を受けながら、バラバを救われたという、強い決意とご意思が、聖書を読み解くと見えてきます。
後に復活されるイエス様が、人として出来る最後の活動の場所に選ばれたのが、肉親すら救いに訪れることが出来ない、牢獄と刑場だったんですね。
人としての両親との関係ですと、色んな関係があるので、「これが親子の絆だ」とは、一概に言えないのですが、やはり多くの親御さんは、我が子の身代わりに命を落とすことが出来るか?と聞かれたら、それが想像を絶する苦痛の末の死であっても、それで我が子が救われるのであれば、喜んで我が身と命を捧げられるんですよね。
「私の親は、そんな優しい親じゃない」と、戸惑われる方もいらっしゃるかと拝察します。
でも大丈夫なんですよ。今生を自力で生きる人の親が助けてきてくれなくても、イエス様がそうされたように、神と仏(潜在意識、阿頼耶識)だけは、皆さんがどこにいても、どのような罪を背負われていたとしても、必ず側に寄り添って助けようとしてくれます。
恋愛、復縁、結婚などの願望を、潜在意識、阿頼耶識を活用して達成しようとすると、どうしても周囲の無理解や、そういった方々のマイルールを押し付けられて「叶えてはダメ」と、ささやかな幸せを叶えたいという気持ちさえ、否定されることもありますよね。
ただ、好きな彼(彼女)と、復縁や結婚して、人として幸せになりたいだけなのに、無理解な方々からジャッジされ、罪人のように罵られることさえあります。
しかし、イエス様が、あえて牢獄に囚われることで、他の男性を助けたように、誰がどのように皆さんをジャッジしても、神仏(潜在意識、阿頼耶識)だけは、皆さんを必ず探し出して、助け出して、皆さんがお持ちの、恋愛、復縁、結婚などの願望を幸せな形で叶えてくれるんです。(・∀・)
イエス様が、磔に処されたのは、誰からも手を差し伸べてもらえない、人々を救うという願いを果たされるための終着点に向かわれるためだったんですね。
そして、イエス様は重い十字架を背負い、ムチを打たれながら、復活前の終焉の地である、ゴルゴダの丘を登られます。
ここでも、またイエス様の決心と願いが果たされることになります。
両手と足に釘を打たれ、磔にされたイエス様に、同じく磔にされていたゲスタスという名の一人の男が問いかけます。
「イエスさんよ、あんた神の子なんだろ?なら自分を救ってみろよ。俺を救ってみろよ」
すると、同じく磔にされていた、デュスマスという男性が、ゲスタスを叱りつけます。
「やめろ、俺達が刑に処されるのは当然のことだ。しかし、イエス様は…この人は、何も悪いことをしていないんだ」
イエス様はデュスマスに優しく微笑みかけられて、「まことにまことに、今日あなたは私とともに天国にあるだろう」と語りかけれます。
デュスマスは罪が許され、そしてイエス様と神様の国(天国)にいけることを確信し、感謝と喜びの涙を流します。
こうして、イエス様は、本当に誰も助けに来ないであろう、罪を犯して裁かれる刑場の人々さえも救われて、人としての決意を遂げられます。
その後、イエス様は復活され、世界各地で神(潜在意識、阿頼耶識)の救いを伝えていた、使徒(弟子)たちに様々なアドバイスを送り続けます。
私達の肉眼では、目視することは出来ませんが、聖書を読み解くと、今もどこかでイエス様が、私達がその御心に委ね、願望達成であり、幸せを受け取り続けることをお待ちなのだと伝わってきます。
もちろん、私達がどこにいても、イエス様、神仏、潜在意識、阿頼耶識は、決して私達を見逃したりせず、探し出してくれています。(・∀・)
なので、「どんな人生を送って来ていても、誰からも理解されない願望に悩んでいたとしても、もし何か罪を背負っていたとしても、潜在意識、阿頼耶識だけは、皆さんのことを、決してジャッジせず、必ず救い出して、願望も達成してくれますので、瞑想などで、願望が叶えられた世界をイメージして、受け取り続けられてみてくださいね。
イエス様の壮絶な慈愛の心と、潜在意識、阿頼耶識についての「まとめ」です。
・暗い牢獄や、刑場にまで救いの手を差し伸べられたイエス様の慈愛と決心が、ただ「ささやかな幸せを」と望まれて、恋愛、復縁、結婚の願望をお持ちになられる、皆さんのもとに届いていないはずはないんですよね。
恋愛系の願いを持つと、どうしても不安で仕方がない時間を過ごすこともありますし、周囲の無理解に悩まれることも多いかと拝察します。
まるで、ささやかな幸せと心を牢獄に閉じ込められたような気持ちになりますが、そういった方々にこそ、潜在意識、阿頼耶識と、神仏の手と、願望が達成された世界が差し伸べられ続けるんですよ。
・どのような境遇にいても、願望達成が困難に見えても、恐れることはありません。
どこにいても、神仏(潜在意識、阿頼耶識)は、今既に見つけ出してくれています。
瞑想などで、潜在意識、阿頼耶識にアクセスして、ただただ、願望が達成された世界のイメージを「本当のこと」として受け取り続けてみてくださいね。
自分で創造するのではなく、ずっと与えられる物として、特定の願望を受け取り続けると、願いが最善の形で達成されますよ。
・「どうして叶わないの?」「救われないの?」
人ばかり見て感情的な勝ち負け(自力)にこだわれば、今現在差し伸べられている救いの手に気付くことは出来ません。
しかし、気付けなかったからこそ、気づけたときに「他力(潜在意識、阿頼耶識)しかない」と喜べるんですよね。
どのような人でも救われて、どのような願望でも最善に叶えるのが、潜在意識、阿頼耶識のご沙汰なので、現実と争わず、周りのマイルールに干渉されず、ただただ、恋愛、復縁、結婚、そして全ての願いを達成して、問題も解決してまいりましょう。
・人はイエス様を裁きましたが、イエス様は誰も裁きませんでした。
願望を許さないのは「人」だけであって、神仏は皆さんを温かく迎え入れて、幸せな世界を最善に与え続けてくれます。
・重い過去を背負われている人であっても、必ず救われます。
そして、どのような願望も達成されます。
牢獄や刑場の人々まで、自らの意志で向かわれ、そして救われたイエス様の慈愛に感謝するばかりです。
それでは、また近日中に。
ご訪問に感謝します。
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